聖暦一八八九年十月一日。
カイトが正式に魔道士として叙任するための「宣誓の儀式」が執り行われるレザレクション大聖堂の周囲には、晴天に恵まれたこともあり朝早くから多くの人々が詰めかけていた。 続々ときらびやかに装飾された二頭立ての四輪馬車が、レザレクション大聖堂の正面に広がる大きな広場の奥に位置する車寄せへと乗り入れた。 ミズガルズ王国の筆頭魔道士団であるトワゾンドール魔道士団に属する魔道士たちが、豪奢な馬車から降り立つ度に群衆から歓声が上がった。「レビン卿とステラ卿のお二人だ!」
「いやあ、拝見する度に美しさが増しておられるねえ……」レビンとステラが馬車から降りると、男性たちの視線は瑞々しい魅力を放つ二人の女性魔道士へと吸い寄せられた。
百七十二センチと女性としては長身であるレビンの、意志の強さを表わすように輝く黒い瞳が群衆に向けられると男たちがざわめき立った。 濡れ羽色のストレートで長い髪が、すらりと伸びた手足を包む純白の軍服と相まって端整な美しさを放つレビンの姿は、十八歳にして魔道士の威厳すら併せ持っていた。 レビンの横に立つステラも百六十五センチと女性としては高めの身長で、亜麻色の髪をショートボブにしている。 理知的な印象を与える銀縁の眼鏡の奥の瞳は琥珀色で、落ち着いた微笑を浮かべてみせる二十歳だった。 軍服を着ていても男たちの目を引く大きく張り出した胸のふくらみと見事なヒップラインが、肉感的な魅力でもって男を魅了していることもステラは自覚していた。 レビンとステラは余裕の笑みを浮かべながら、群衆の歓声に応じて軽く挙げた手を振りながら大聖堂へと入っていった。「あっ! アルテッツァ卿とセリカ卿のお出ましよ!」
「ああ、もう……なんて見目麗しいの……」アルテッツァとセリカが馬車から降りると、打って変わって女性たちの注目が眉目秀麗を絵に描いたような二人の男性魔道士に集まった。
艶めく金髪に翠玉の如き碧眼、鼻梁がすらっと通った欠点の見当たらない美丈夫である二十四歳のアルテッツァと、光沢を含んだ微かに淡い金髪に力強い眼光を放つ碧眼を有する二十二歳のセリカが並んで歩く姿は、女性たちの熱い視線を強く惹き付けた。 百八十七センチのアルテッツァと百九十センチのセリカが身に纏うと、トワゾンドール魔道士団の威光を示す純白の軍服は秋の澄んだ空気の中で一層映えて見えるものとなった。 アルテッツァとセリカは輝く笑顔を群衆へと振りまき、黄色い声に応えながら大聖堂へと入っていった。「おお! ノンノ卿とピリカ卿だぞ!」
「ノンノ卿は相も変わらず愛らしいねえ……」次に群衆の注目を集めたのは、ともに小柄な女性魔道士であるノンノとピリカだった。
黒く艶やかな髪を腰に届くほど長く伸ばしているノンノは碧く光る瞳の持ち主で、彫りは深いものの十六歳という年齢の割に幼い印象を与える顔立ちだった。 ノンノと同様に彫りが深くオリエンタルな目鼻立ちのピリカは、黒髪をショートボブに切りそろえており、銀縁の眼鏡の奥にある瞳もノンノと同じく碧い光を帯びていた。 十九歳という年齢よりも若い印象を与えるという特徴もノンノと似ているピリカは、群衆の大きな歓声に飲まれることなく落ち着いた微笑を浮かべていた。 姉妹のようにも見えるノンノとピリカは、群衆からの歓声に軽く応えながらもツカツカと足早に大聖堂へと入っていった。トワゾンドール魔道士団に属する六名の魔道士が大聖堂へと入っていくのを見送った群衆の前に、カイトとエルヴァを乗せた馬車が到着したのは数分後だった。
車窓を覗き込んだカイトは、大聖堂の周囲を埋め尽くす群衆の多さに驚きを隠せなかった。「……すっごい人ですね」
「この群衆の、お目当てはきみだよ」くすりと笑ってみせるエルヴァも愉快だという素振りを隠さなかった。
「なんていうか……もう緊張とか通り越して、ちょっと怖いんですが……」
「主役がなに言ってるの。これぐらいの群衆、これからいくらでも集めることになるんだよ、きみはね。じゃ、行こうか」エルヴァがカイトの背中をポンと軽く叩いた。
先に馬車を降りたエルヴァの姿に、群衆から歓声が上がる。 続いてカイトが馬車を降りた。 純白の地に真紅の縁取りのなされたマントがふわりとはためく。金色の翼を持つ羊のエンブレムの下には金糸で刺繍された首席魔道士を示す「Ⅰ」の数字。 まとまりなくざわついていた群衆がコンダクターの指揮に合わせるかのように一瞬の静寂をつくる。 一瞬の静寂を合図として、群衆は一斉に割れんばかりの大歓声を上げた。「カイト卿だ!」
「カイト卿! 万歳!」
「ああ、ああ! 新たな聖人様よ!」
先を歩くエルヴァが振り返り、笑みを浮かべながらカイトへ声をかけた。
「さあ、人々の喝采に応えてみせるのも、主役の仕事だよ」
エルヴァの言葉に無言でうなずいたカイトは、蒼天に向けて右拳を高く突き上げた。
群衆が一層の大きな歓声でカイトの挙動に応える。 高潮した群衆の拍手喝采は、カイトが大聖堂へ入ってもなお鳴り止むことがなかった。カイトが群衆の歓声を背に受けながら普段は閉ざされている正面中央扉口からレザレクション大聖堂の中へ入ると、身廊の入り口付近で待っていたノンノがカイトに向かって軽く右手を挙げてみせた。 屈託のない明るい笑みを浮かべるノンノの隣には、穏やかに微笑むピリカの姿もあった。 カイトがノンノの合図に応じて近付くと、ノンノはトーンが高く軽い印象を持った声で名乗った。「あたしは、ノンノ。あなたがカイト卿なんだね」 ノンノはニカッと歯を見せる笑みを浮かべながら、カイトへ右手を差し出した。「はじめまして。ノンノ卿。カイトです」 握手に応じたカイトは小柄なノンノの右手が想像よりもさらに一回りは小さいことに驚いたが、それを顔には出さないように努めた。「あたしのことは、ノンノって呼び捨てでいいよ。敬語もいらない」 ノンノが持つ愛らしい雰囲気と裏を感じさせない口振りに触れ、すぐに好感を抱いたカイトは素直に応じた。「……分かった。ノンノ、これからよろしくね」「うん!」 ノンノは明るい笑みを浮かべたまま、コクリと大きくうなずいた。「ピリカと申します」 ノンノの隣に立つピリカが、カイトに向けて深々と頭を下げる。 フランクで距離の近いノンノとは対照的に、耳にやさしく届くハスキーボイスで名乗ったピリカは落ち着いた物腰だった。 ぷっと吹き出したノンノが、告げ口する口調でカイトにピリカを紹介した。「ピリカはマジメなふりが上手いけど、エッチなことにはすっごい積極的だから気をつけてね」「ノンノ! 初対面の、それも首席魔道士になるカイト卿の前で、なに言ってるの!」 ピリカが慌ててノンノをたしなめるが、ノンノは全く悪びれる様子もなかった。「そんなのどうせ、すぐにばれるんだから、早いほうがいいじゃん」 ノンノとピリカのやり取りを微笑ましいと感じたカイトは「もう少し見ていたい」とも思ったが、これから叙任の儀式と宣誓が始まるというタイミングの今は、ピリカに助け船を出して会話を抑えておこうと判断した。「えっと……はじめまして、ピリカ卿。カイトです。よろしくお願いします」 カイトが右手を差し出すと、ピリカは微笑みを返して握手に応じた。 ノンノよりもわずかに背が高いほどで小柄なピリカの手は、小さくはあったがカイトにとっては「しなやかな手」という印象の方が強かった。 先に身廊
レザレクション大聖堂で執り行われたカイトの叙任式典が滞りなく済んだ後、カイトを初めとする式典の参列者たちは祝宴の会場となるブレビス離宮へと移動した。 ブレビス離宮はミズガルズ王国の王太子が代々東宮としていた宮殿を、現在の女王セルリアンの先代に当たるプラド国王が男子を残すことなく崩御したことで迎賓館として利用されるようになった宮殿で、レザレクション大聖堂から馬車で十数分の位置にあった。 ブレビス離宮の周囲には魔道士ではない一般の兵士が警備のために配置され、王太子の宮城として設計された離宮の周辺には人々が集まれるような広場などは無いこともあって一帯は静かな空気に包まれていた。 祝宴の参列者は主賓であるカイト。トワゾンドール魔道士団のメンバーで式典に参列した六名と、顧問であるエルヴァ。女王セルリアンとその王配ケンゾー。王太子タンドラとその妃であるディアナ。宰相セルシオと枢密院議長マジェスタを始めとするミズガルズ王国の首脳陣。御三家と呼ばれるジウジアーロ家、ファリーナ家、ガンディーニ家を始めとする一部の有力貴族……という少数に限られていた。 祝宴は正式な午餐会ではなく、立食形式がとられた。 数百人を収容できる規模の会場となった「羽衣の間」には奥に大きなステージが設置され、数十の円卓が並んでいた。円卓には彩り鮮やかな料理が並べられ、それぞれの円卓を担当する数十人のウエイターが配置についていた。 セルリアンとケンゾー、そして主賓のカイトがステージへと上がり、カイトの魔道士叙任と筆頭魔道士団の首席魔道士への就任を祝う祝宴は始まった。 乾杯に先立ち、セルリアンが短くスピーチした。「カイト卿の加入によって、戦地において我が国を代表する筆頭魔道士団、トワゾンドール魔道士団の首席魔道士が不在という事態が解消されました。これはミズガルズ王国にとって、この上なく喜ばしいことです。昨今のテルスは予断を許さない情勢が続いています。カイト卿はミズガルズの地にもたらされた光明。その希望を祝うことができる今宵の席を、わたくしは忘れることが無いでしょう。本日は形式ばった午餐会ではありません。参列の皆には本日、この宴を存分に楽しんでもらいたく思います」 参列者全員がシャンパンの注がれたグラスを持ち、乾杯の挨拶はセルシオが行った。「女王陛下、ご列席の皆様。本日ここにカイト卿の叙任と首
アルテッツァとセリカの二人と初めての会話を交わすカイトとの間に流れる空気が、打ち解けたものとなったタイミングを見計らうようにトワゾンドール魔道士団の第十席次を示すマントを纏うノンノと、同じく第十一席次を示すマントを纏うピリカが三人へと近寄った。「カイト卿への挨拶は済んだ?」 ノンノはフランクに親しさを含んだ調子でアルテッツァへ問い掛けた。「ああ、つつがなく済んだよ」 アルテッツァが輝く笑顔を向けて答えると、向けられた笑顔に反応してノンノは返した。「相も変わらず、女を惹き付ける笑顔なんだから。もったいないよね、まったくもう」 小柄なノンノが長身のアルテッツァを見上げるようにして言うと、アルテッツァは対応に慣れた様子で微苦笑を浮かべてみせた。「もったいない?」 カイトが小首を傾げながらノンノの言葉に疑問を向けると、ノンノは平然とその理由を言ってのけた。「これだけの美形で性格も良くて、おまけに家柄も能力に見合った地位も揃ってるってのに、女には興味がないんだよ。アルテッツァもセリカもね」 ノンノがサラッと口にした意外な理由に対して思わず「え?」と声を漏らしたカイトに、アルテッツァは微笑を浮かべながら説明を加えた。「私のパートナーは、公私ともにセリカなんです」「そうなんですか。信頼できるパートナーといつも一緒にいられるって素敵ですね」 カイトは穏やかな笑みを浮かべるアルテッツァにつられるように、微笑みを返しながら感想を口にした。「ありがとうございます。私の時間はセリカがいてくれるおかげで充足しています」 アルテッツァが輝く笑顔をみせながら答える。 ノンノが展開を次へ進める合図代わりにピョンと跳ねて、カイトの前に着地する。「カイト卿は、女性はお好き?」「うん……好きだよ」「お、素直でいいね。ピリカ、チャンスだよ!」 ニカッと笑ったノンノが振り返ってピリカに視線を送る。 ピリカが「ノンノ!」とたしなめる声を上げるのに合わせて、カイトが「でもね」とノンノに声をかけた。 声に反応したノンノが振り返ると、カイトは微苦笑を浮かべながら自分の性格を打ち明けた。「俺は女性に対して積極的なタイプじゃないんだ」「そうなの? もったいないなあ。選り取り見取りの立場なのに」 会話の中心にいるノンノの耳に「ノンノ卿……!」というレビンの落ち着いてい
産業革命と呼ばれる工業化による生産性の拡大によって圧倒的な経済力と軍事力を握った西欧列強の強い影響力が世界中に及んだ地球の十九世紀と同様に、激動の時代にある聖暦一八八九年の異世界テルス。 西欧列強による植民地争奪が激化する中で、日本と同じく世界最大の大陸の極東に位置するミズガルズ王国が独立国家として在り続けるための軍事力そのものであり、国家の威信を示す象徴的存在でもある筆頭魔道士団の長となる首席魔道士に就任したカイトの生活は、十月一日の叙任式典から一変……はしなかった。 筆頭魔道士団の第一の席次を表す場合にだけ用いられ、国家の君主や元首に次ぐ特殊な立場となる首席魔道士に就任したカイトだったが、エルヴァから無属性魔法や魔道士としての作法などを教わり、王宮内の病院へ週に四日ほど通ってケンゾーから治癒魔法について教わるという勉強が中心の生活が十月十八日まで続いた。 カイトの異世界での生活を一変させる一通の書簡を携える宰相セルシオが、エルヴァの屋敷を訪れたのは十月十八日の昼過ぎのことだった。 「ウァティカヌス聖皇国の聖皇フィデス陛下からのカイト卿へと宛てられた招聘状です。つきましては、カイト卿には急となってしまい申し訳ありませんが、明後日、聖皇国に向けて出立していただきたく、お願いする次第です」 エルヴァの屋敷を訪れたセルシオは応接間へと通されるや、ソファに挟まれるように置かれたローテーブルの上に聖皇フィデスからの招聘状だという革の書套に包まれた書簡を載せてから口を開いた。 カイトは「失礼します」と断ってから革の書套に包まれた書簡を開いて内容を確認した。 招聘状の宛て名は「ミズガルズ王国、トワゾンドール魔道士団、首席魔道士カイト卿」とある。 テルスという異世界に来てからというもの、すでに慣れ親しんだ感のあるアリシア文字で書かれた書簡の文面に目を通したカイトは、書簡をローテーブルの上へ静かに戻した。 カイトはテルスで広く用いられ地球でのアルファベットのようにほぼ共通文字となっているアリシア文字が読めるだけではなく、言語も地球での英語のように半ば共通語となっているエッドア語を日本語として理解できた。 言語の習得を必要としない不思議すら考える余裕もなく、カイトは異世界での生活に順応していた。「位階の叙位と、称号の授与だね」 同席していたエルヴァは普段
翌十月十九日の早朝。 王都プログレの目抜き通りから一本中に入った出版関連の会社が集まるエリアに、ミズガルズ王国内では名の通った新聞社が社屋を構えていた。 何人かの夜討ち朝駆けで鳴らす記者たちが、記事を書いたり仮眠したりと各々我関せずといった様子で仕事をこなす早朝の新聞社の社屋で、屋上に設置された伝書鳩の鳩舎にも一人の小太りな男性記者の姿があった。 スクープに定評のある新聞社の中でも辣腕ぶりで知られた小太りな記者は、セナート帝国の諜報活動を掌握する筆頭魔道士団の第六席次シルビアと繋がるスパイでもあった。 慣れた手つきで伝書鳩の脚に通信文を入れた小さな筒を取り付けた小太りな記者は、何の気負いもなく日常の業務として伝書鳩を飛ばした。 伝書鳩の行き先はセナート帝国の極東に位置するヴォストークであり、伝書鳩をリレーしてセナート帝国の帝都マスクヴァとの通信文をやり取りする情報網は構築されてから既に十年余の運用に耐えていた。 翌十月二十日の晴天に恵まれたプログレの港では、大型の客船が出航の準備を整えていた。 秋晴れに映える真新しい純白の軍服も眩しいカイトと、就任したばかりの首席魔道士に護衛として同行するセリカとステラは連れ立って、正午の出航に合わせて客船に乗り込もうとしていた。「いやあ、実に気持ちのいい天気だ。旅立ちにこれ以上のはなむけも無いな」 青く澄み渡った秋空を見上げたセリカが感嘆も漏らすと、ステラは旅立つ三人の前に広がる海原へ目をやって相づちを返した。「ええ、波も穏やかで本当に出航日和ね」 セリカとステラの気心の知れた様子に触れたカイトは立ち止まると、セリカとステラに向かって頭を下げた。「俺にとって初めての船旅、そしてこの世界だけじゃなく元の世界でも経験しなかった、初めての海外です。正直に言っちゃうと緊張してるし、首席魔道士なんて呼ばれててもまだまだこの世界のことを知りません。お二人を頼りにしちゃうと思います。よろしくお願いします」 いきなり頭を下げて懇願を口にするカイトに対して、セリカはわずかに慌てた様子をみせた。「カイト卿……! お気持ちは分かりましたので、まずは頭を上げてください」 一方でカイトが胸のうちを素直に明かしてしまう様子に接したステラは、くすりと笑ってみせた。「カイト卿。首席魔道士である卿はわたしたちをまとめ上げ、そして
十一月四日の昼過ぎ。 魔道士にとっての聖地であるウァティカヌス聖皇国へとカイトたちを運ぶ大型客船は、航行計画の通りに十一月四日の昼過ぎ、ウァティカヌス聖皇国で唯一大型の船舶が停泊できるスペツィア港へ入港した。 ウァティカヌス聖皇国は「世界最小の国」として知られ、その国土面積はカイトが生活するミズガルズ王国の王都プログレの二百分の一ほどしかないが、魔道士の聖地として永世中立国の立場を貫き独自の発展を遂げた国だった。 歴史的な建造物や景勝地にも恵まれ、温暖で平和な聖皇国は観光立国を成した国でもあり、多くの客船が停泊する聖皇国で唯一の港は賑わいを見せていた。 久々に踏む地面が与える安心感も合わさり、客船を降りたカイトたちの足取りは軽かった。 カイトたちはまず聖皇国内に設置されているミズガルズ王国の公使館へと移動した。 腹だけが肥えた中年太りの公使は、到着したカイトたちを歓迎して深々と頭を下げた。「公使を務めております、スペイドと申します。長旅お疲れ様でございました。聖皇国に滞在の間の諸用は何なりと私へお申し付けください」「お世話になります」 カイトが頭を下げて応じると、スペイドは恐縮の表情を浮かべながら今後の予定を口にした。「聖皇陛下への謁見は、明後日の午後を予定しております。それまでは、どうぞゆっくりとおくつろぎください」「はい。そうさせてもらいます」 カイトたちはスペイドに案内され、ゆっくり歩いても公使館から十五分ほどの高台にあるホテルへと移動した。 客室まで荷物を運び入れた客船の乗組員に礼を言いながらチップを渡したカイトは、客室の窓を開けて聖皇国の街並みを眺めた。 港町特有の密集した建物はどれも海の青さと調和がとれていた。 活気がある美しい港町だとあらためて感じたカイトが鼻唄まじりに荷ほどきをしていると、程なくして客室のドアをノックする音がした。 カイトがドアを開けると、やや緊張した様子のスペイドが立っていた。「ロザリオ魔道士団の第三席次であられるアルトゥーラ卿が、閣下に面会を求めてこのホテルを訪れております」 スペイドの口からエルヴァの息女であるアルトゥーラの名を聞いたカイトは、スペイドが緊張している理由を察した。「分かりました……アルトゥーラ卿はどちらに?」「ロビーでお待ちです」「では、セリカ卿とステラ卿に声をかけて
明後日の昼過ぎ。 カイトとその護衛役であるセリカとステラ、事務方として随行するスペイドの四人は聖皇の宮殿へと向かう馬車に乗り込んだ。 聖皇の宮殿はカイトたちが滞在するホテルのある高台よりも少し高い丘陵にあり、テルスで最大級の教会建築であるサン・フィデス大聖堂と隣接していた。 快晴ということもあって世界的に名所として知られるサン・フィデス大聖堂は多くの巡礼者や観光客でごった返していた。 大聖堂の賑わいとは対照的に、隣接する聖皇の宮殿は静寂に包まれていた。 宮殿の車寄せに乗り入れた馬車からカイトたちが降りると、緋色の祭服を着た聖皇国の枢機卿が出迎えた。 枢機卿に先導されてカイトたちは宮殿の奥に進んだ。 謁見の間の細長く四メートルほどの高さがある扉の前に到着すると、スペイドと枢機卿は扉の前で待機した。 白で統一された天井の高い謁見の間には、アルトゥーラと長身の女性の二人だけが待機いた。 長身の女性は赤銅色の長い髪を結い上げており、アルトゥーラと同じロザリオ魔道士団の軍服を着ていた。「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」 長身の女性がやわらかく響く声でカイトに呼び掛けた。 カイトが女性の声に従って謁見の間の奥へと足を進めると、長身の女性はカイトに向かって深く頭を下げた。 頭を下げて応じたカイトに、顔を上げた長身の女性は柔和に微笑んでみせた。「ロザリオ魔道士団の次席を預かる、クーリア・マクラーレンと申します。貴国でお世話になっているエルヴァの妻です」 やわらかな声と気品を併せ持つクーリアに対面したカイトは、アルトゥーラの母親とは思えない若さを保つクーリアの容姿に驚いたが、それを顔には出さないように努めた。「トワゾンドール魔道士団の首席魔道士を務める、カイト・アナンと申します」「聖皇陛下は直にまいります。少々お待ちください」 微笑みを絶やさないクーリアは、艶やかで成熟した魅力を放つ女性だった。 カイトが「はい」と短く返事を返したタイミングで、純白のローブモンタントを着た少女が謁見の間に入ってきた。 小柄な少女はつかつかと一直線に奥へと進み、一段高くなっている最奥に設置された豪奢で大きな椅子にちょこんと腰掛けた。「朕がフィデスである。遠路、大儀であった」 代替わりから数年ほどしか経っていない現在の聖皇は若い女性であるとは聞いてい
魔道士への位階の叙位と称号の授与に関する一切の事務を「聖皇から委任されている」という形をもって取り仕切るウァティカヌス聖皇国にあって、報道機関への対応を一任されているクーリアの「祝賀の主役であるカイト卿に疲れた状態で晩餐会に参席いただくのは申し訳ない」という配慮から、新聞社を始めとする報道機関の取材を回避できたカイトは、一旦ホテルへ戻って一息つく余裕を得た。 カイトとその護衛役であるセリカとステラ、事務方として随行する公使のスペイドが連れ立って宿泊するホテルへ戻ると、ホテルのロビーにカイトの戻りを待つ女性魔道士の姿があった。 金髪のショートボブで鼻梁はすっきりと通り、切れ長の目には濃い碧眼が光る女性は、漆黒の地に群青の縁取りがなされたラブリュス魔道士団の軍服を身に纏っていた。 すらりとしたスリムな体型で背も高い女性魔道士は、ホテルのエントランスからロビーへとカイトたちが入るのを視認するやすっくと立ち上がり、カイトに向かって深々と頭を下げた。「お帰りを、お待ちしておりました」 女性魔道士の落ち着いた低い声がカイトの耳に届く。 セリカとステラが身構える気配を背後に感じながらも、カイトは緊張を隠しつつ女性魔道士へ歩み寄った。「どちら様でしょうか」 女性魔道士の前まで近寄って問い掛けるカイトに対し、女性魔道士は品を感じさせる微笑を浮かべながら答えた。「セナート帝国のラブリュス魔道士団で第六席次を預かるシルビア・ゲルツと申します」「はじめまして。カイト・アナンです。それで、シルビア卿……俺をお待ちいただいていたようですが、どういったご用向きでしょうか?」 敢えて肩書きは添えずにカイトが質問を返すと、すかさずシルビアはなめらかな口調で答えた。「本日はカイト卿の位階の叙位と称号の授与を言祝ぎたく、突然の失礼を押して参上いたしました」「そうですか……ご足労いただき、ありがとうございます」 ほんの二年前に矛を交えた敵国であり、国交が戻った今も最も警戒すべき大陸の覇権国家セナート帝国。戦場においてはその大国の全権代理人となる筆頭魔道士団の第六席次が、急に目の前に現れたことへの警戒は解かずに、カイトは努めて穏便な姿勢で応じた。 隠しきれない緊張が顔に出ているカイトとは対照的に、落ち着き払った面持ちのシルビアは、カイトに向かって軽くうなずいてから自身の傍ら
アクーラが発した「ダイキ」の名に反応したカイトは、クラリティの前まで駆け寄ると父親の名前であるかを真っ先に確認した。「その、ダイキというのは、ダイキ・アナンですか?」「はい。聖魔道士であるダイキ・アナン卿です」「そうですか……」 言葉をつまらせたカイトへ寄り添うように、傍らへと歩み寄ったファセルが柔らかな声を掛ける。「カイト卿のお父様ね……魔道士団を構成する魔道士が十二名を超えたときには、通例として空位とされる第十三席次。その第十三席次に、ダイキ卿が就かれた。残酷だけれど、問われているわね。カイト卿の覚悟が」「……ええ、思ったより早かったですが……俺の覚悟が問われる局面ですね」「どうなさいます?」 ファセルの問いかけに対し、カイトは前を見据えたまま答えた。「……戦いましょう。俺は、トワゾンドール魔道士団の首席魔道士として遠征に加わりました。やらなきゃいけないことは、分かってるつもりです」「お父様と矛を交える事態にも、立ち向かう覚悟がお有りなのね?」「……はい。今の俺には、肉親よりも優先しなきゃならない使命があります」「結構。その覚悟が決まっているなら、わたしたちがカイト卿の矛となってさしあげましょう」「ありがとうございます。お願いします」 ファセルに向けて頭を下げたカイトの肩を、アクーラがグッと抱き寄せる。「このアクーラ・ウォークレットも付いてますからねえ。御安心召されよ、ってなもんなんですよお」「はい。ありがとうございます。心強いです」 アクーラの性格に救われた気がしたカイトは、固まっていた表情を微かに緩めて礼を述べた。 カレラはゆっくりとクラリティへ歩み寄ると、敵の主体であるラブリュス魔道士団に籍を置く魔道士たちの所在を訊ねた。「クラリティ卿。我々の敵となる魔道士たちは、今どこに?」「街の中央に位置する、広場に集合しています」「一般の兵は?」「後方支援に当たる一般の兵が小隊規模で帯同していますが、広場にはいません。ヒンドゥスターンの国軍に属する一般の兵が接収されることもなく、ラブリュス魔道士団と第六魔道士団に属するセナート帝国の魔道士だけが広場に集まっています」「そうですか。では、案内願えますか?」「はい。こちらです」 すぐさま首肯を返したクラリティの先導で、カイトら十名の魔道士で構成されたは四ヶ国の混合部隊
カイトら十名の魔道士で編成された遠征部隊を乗せた大型汽船は予定した航程を無事に進み、七日後となる四月十一日の朝に目的地であるベンガラの南東に位置する港湾都市チッタゴンの港に入港した。 セナート帝国側の抵抗を警戒した十名は、チッタゴンの港へ入港するのに合わせて甲板へ集合して哨戒に当たったが、港にはセナート帝国の魔道士はもとより、一般の兵の姿もなかった。「妙ですねえ……チッタゴンはどうでもいいってことですかねえ」 アクーラがぼそりとこぼした感想に、カレラはうなずきを返しながら答えた。「セオリーを無視するのはセナート帝国のお家芸だと聞いてはいたけど、実際に接すると気持ち悪いものね……ベンガラで迎え撃つ算段なのか、あるいは、すでに王都デリイに向けて全勢力で侵攻しているのか……」 ファセルが「どちらにせよ」と前置きを返してから、方針を口にした。「わたしたちの目的地が、ベンガラであることに変わりはないわ。早々に向かうとしましょ」 カイトたちを乗せた汽船は停泊の間を取らずに出航すると、ベンガラへの主要な交通手段として機能する深い河川を北上した。 何事もなく北上を続けた汽船は、昼前にはベンガラの河川港へと入港した。 カイトら十名の魔道士はチッタゴンに到着した際と同様に、甲板へ出て周囲を警戒したが、河川港にもセナート帝国の魔道士や兵の姿はなかった。 奇妙な静けさに対する気味悪さと拍子抜けを同時に感じながら、カイトはベンガラの河川港に降り立った。 河川港には最低限の着港に必要な作業員以外の人影はなく、警鐘だけが鳴り響いていた。「出迎えは警鐘だけですかあ。拍子抜けですねえ」 アクーラが全身を伸ばしながら感想をもらしたタイミングで、アクーラと共にメーソンリー魔道士団から遠征部隊に加わったエランが、前方を見据えながら警戒を促すようにアクーラへ声を掛けた。「その出迎えが、遅れて来たみたい」「おっと……あれえ? 一人ですかあ。というか、あの軍服……」 四ヶ国の筆頭魔道士団から選出された十人の魔道士に向かって、まっすぐに歩を進めるのはアパラージタ魔道士団の軍服を着たクラリティだった。 一人きりで四つの色が混合する十名の魔道士へ近付くクラリティの顔には、緊張の色がありありと表れていた。 アクーラはこちらに向かってくるクラリティを迎えるように、軽い足取りで歩み寄
天候に恵まれた四月四日。五ヶ国間での正式な締結を目前とする軍事同盟を構成する四ヶ国で、各々の筆頭魔道士団に籍を置く十名の魔道士で編成された遠征部隊を乗せた汽船は、予定通りに正午の時の鐘に合わせてウァティカヌス聖皇国の港から出航した。 無用の犠牲を避けたいというカイトの意向と、四ヶ国の筆頭魔道士団に所属する魔道士で編成された連合部隊という背景によって、後方支援に当たる一般の兵すら含まない十名の魔道士のみとなった遠征部隊。その規模には不釣り合いな聖皇国の手配した大型の汽船の船上では、出航直後から酒が振る舞われた。戦地へと赴く緊張を緩和させるためというのが一応の名目ではあったが、緊張した様子をみせるメンバーはいなかった。 中でも列強の筆頭魔道士団においてエースナンバーである第三席次を預かる魔範士、アクーラ、カレラ、ファセルの三人は前日の壮行会の余韻を楽しむかのように酒を酌み交わしていた。 三人の姿に触れたカイトは強者の余裕を垣間見た気がした。「カイト卿。飲んでますかあ?」 アクーラは声を掛けながらカイトに近付くと、右隣に腰掛けて半ば空いていたカイトのグラスにワインを注いだ。「あ、はい。どうも……」 カイトにとっての天敵。刃を交えるような事態は最優先で避けるべき存在である四人のうちの一人。 召喚した存在を憑依させることで自身を強化する反則級の魔道士であるアクーラが、肩が触れあう距離にいるという事態に、カイトは恐縮を隠すことができなかった。 カイトの反応を見たアクーラが、その豊満な胸を突き出してポンと右手で叩いてみせる。「このアクーラ・ウォークレットが一緒なんですから、安心して呑んでくださいよお」「はい。ありがとうございます。心強いです」「カイト卿はあ、いつでも、そんな感じなんですかあ」「そんな感じ、とは?」「えーとですねえ。冷静とはちょっと違ってえ、腰が低すぎる感じ?」「そうでしょうか?」 カイトが微苦笑を浮かべながら答えると、アクーラは語尾を伸ばす口調のままで指摘を口にした。「そうですよお。カイト卿は太魔範士で聖魔道士の首席魔道士なんですから、もっと堂々としてなきゃダメなんですよお」「魔力を持っているだけの駆け出しですよ、俺は」「いいですねえ。力への慢心が無いってのは、戦場では大事なことですよお。でも、力に見合う態度ってのが大事に
当初の見積もりよりも大幅に延びてしまった滞在に進んで付き合ってくれるだけでなく、独断と責められても文句の言えない今回の決断にも快く応じてくれるアルテッツァとセリカ、ステラの三人に向けてカイトは頭を下げた。「ありがとう……今回の遠征では太魔範士じゃなく聖魔道士として、ヒーラーの役割を果たしたいと思ってる。この身体は三人に預けます」 カイトの意思を聞いたセリカが「お任せ下さい」と朗らかな笑顔で答えながら、自分の胸をポンと叩いてみせる。 続けて「必ずお守りします」と答えたピリカも、やわらかな微笑みを浮かべてみせた。「お願いします」 三人に向けてもう一度頭を下げたカイトが、セリカとピリカの笑顔につられるように微笑む様子を見たアルテッツァが、会話を次に進める切っ掛けの仕草としてあごに手をやってから口を開いた。「それにしても……ファセル卿とカレラ卿、そして、あのアクーラ卿が同じ部隊に揃う姿を、この目で間近に見ることになるとは……当分は酒の席での話題にも困らないな」「その三人は、それだけ特別ってことか……」 あらためて今回の陣容を思い浮かべたカイトの呟きに、軽くうなずいてからアルテッツァが答えた。「ファセル卿とカレラ卿は西方を代表する魔範士として知られてるからね。アクーラ卿に至っては「鬼神」とも呼ばれた圧倒的な戦闘力で戦功を上げ続けた結果、出自やパトロンといった政治的な駆け引き無しに、格式を重んじるブリタンニア連合王国の筆頭魔道士団メーソンリー魔道士団の第三席次に就いてしまった。二十三歳で既に生きる伝説として語り種にもなってる御仁だ。それを抜きにしても、治癒魔法のみを行使するダイキ卿を含めても世界に二十人しかいない、魔範士が三人揃うだけでも凄いことだからね」 アルテッツァが挙げた理由の中でカイトが驚いたのはアクーラに関してではなく、ダイキについての事実だった。「なんか場違いでゴメン、だけど……父さんって、魔範士だったんだ?」 カイトの反応に驚いたアルテッツァは、目を丸くしてから明るい笑い声を上げた。「まさか知らなかったとは……いやあ、聖人の血筋には驚かされてばかりだ」「だよね……正直、父さんにはいまいち関心が薄いっていうか……掴めない存在だから考えないようにしてるっていうか……」 カイトの素直な打ち明けを聞いたアルテッツァが、同感を表すようにうん
遠征に自ら参加すると表明したカイトに対し、心配の表情を浮かべたヴァルキュリャが声をかけた。「カイト卿。卿は筆頭魔道士団の首席魔道士として貴国の国防を預かる身です。首席魔道士は国威の象徴として存在するのも役割の一つ。当然、それを承知の上での発言かとは思いますが……ここは、敢えて問います。本当に御自身が赴かれますか?」 カイトはゆったりとした頷きをヴァルキュリャに向けて返すと、努めて静かな口調で答えた。「ミズガルズ王国の現状を考えれば「俺が出る」のが最適解だと思います。俺は太魔範士であると同時に、治癒魔法を行使する聖魔道士です。俺が遠征に参加すれば、今回の遠征が持つ意味を担って戦地に赴く魔道士の方々の生存率は格段に上がります。それに、この場限りということで正直に打ち明けてしまうと、ミズガルズの国力は今回の同盟を結ぶ国の中で一段、低いのが現状です。ミズガルズ王国が同盟の中で役割を持つ、本当の意味で魔法国家として世界に認識されるには、首席魔道士として国威を背負う俺が直接、戦功を上げるのが最も分かりやすくて効果的だと考えています」 カイトの言い分を聞いたヴァルキュリャは「そうですか……」と短く呟き、理解を示しながらも心配の表情を変えることは無かった。 遠征に自ら参加する理由を打ち明けたカイトへの賛同を口にしたインテンサだった。「カイト卿の英断を尊重したいと私は考えます。さらに言えば、戦地へと赴く魔道士たちの安全を鑑みたカイト卿の思慮に感謝を申し上げる。卿の身の安全を優先するよう、同行することとなるカレラ卿には確と下命しておきましょう」 賛同を示してくれたインテンサに対して「ありがとうございます」と頭を下げたカイトの姿を見たシオンは、納得の表情を浮かべながら口を開いた。「わたしもファセル卿へしっかりと伝えておきます。今回の遠征を担う主要な顔触れは、以上で決定としてよろしいかと思いますが」 確認する間を置いたシロンが反論の無いことを受けてクーリアへと目配せすると、首肯を返したクーリアが会談を締めた。「遠征に関する四国の賛同と、遠征を担う魔道士についての人選も得られましたので、この会談はここまでとしたく思います。遠征の準備が整い次第、聖皇国から出航するという事で手配に入りたいと考えます。聖皇国としても出航までは全面的に協力することを、この場で約束いたします」
ヒンドゥスターン王国への侵攻を開始したセナート帝国の部隊が、ヒンドゥスターン王国の北東に位置する重要拠点であるベンガラを占拠したという報せは三日後の三月二十七日、ウァティカヌス聖皇国に滞在するカイトの元に届いた。 セナート帝国による侵攻の報を受けて、翌日の昼過ぎには対応を協議するための会談が聖皇の宮殿を会場として用意された。 聖皇国に滞在して同盟の締結に向けての調整に動いていたカイトら四名の首席魔道士と、宰相に就いた直後で王都を長く離れることが難しいドゥカティに代わり、聖皇国への訪問という形を取りながら滞在しているビタリ王国の外相ビモータ。そしてオブザーバーとして議事の進行を兼ねるクーリアの六名のみが会談に参席した。 進行役を兼ねるクーリアの、状況を整理する説明から会談は始まった。「三月二十四日。早朝の宣戦布告から、わずか数時間後にはセナート帝国のラブリュス魔道士団に在籍する六名、及び第六魔道士団の十二名で編成された部隊がベンガラへと攻め入りました。セナート帝国の南方元帥として知られるアリア卿が指揮する部隊は、ヒンドゥスターン王国のアパラージタ魔道士団に属していた二名の魔道士と、ブリタンニア連合王国のメーソンリー魔道士団から派遣されていた二名の魔道士を討ち取り、重要拠点であるベンガラの街をその日のうちに占拠しています。その際、アパラージタ魔道士団の第三席次に就いていたクラリティ卿は投降したとの事。まず、未だ正式な締結には至っていない同盟として、動くか否かを協議するべきかと考えます」 クーリアが説明を締めたのを受けて、シロンが蒼い瞳をヴァルキュリャへと向けた。「ブリタンニア連合王国としての正式な表明を待つまでも無く、メーソンリー魔道士団としては動かざるを得ない事態かと思いますが」「はい。シロン卿の仰る通りです。メーソンリー魔道士団は動きます」 シロンの問い掛けに対し、ヴァルキュリャはすぐさま明言をもって返した。 インテンサが長く骨張った両手の指を組み合わせたまま口を開く。「五国間の同盟、とは言っても実質は四国による軍事同盟ですが……いずれにせよ軍事同盟については未だ実務レベルでの協議中であり、正式に締結はされていない。しかし、その協議に要する時間を狙ったかのように、同盟の主たる仮想敵国であるセナート帝国が起こした侵攻であること。宣戦布告と同時に
刹那にも思える短い時間で四つの命を奪い、次の刹那には自分の生殺与奪を握ったベルゼブブが消えたことで、クラリティは浅くなっていた呼吸を整えるように短く息を吐いた。 無邪気だからこそ残酷な子供の笑みを浮かべて目の前に立つ可憐な少女が、十六歳にしてセナート帝国で四方を預かる「四人の元帥」の一人として南方を任されている天才魔道士でありながら、戦闘狂として知られることで「狂乱の魔範士」とも呼ばれる存在だと、頭では理解できてもクラリティの感情は理解に追い付いてくれることはなかった。 「一つだけ……お伺いしても、よろしいですか?」 緊張で喉が詰まりながらも問い掛けを口にしたクラリティに対し、アリアは屈託のない笑みを向けて応じた。「うん。別に一つじゃなくてもいいよ? なに?」「今回の侵攻、その主な目的は、ヒンドゥスターンの併合では無いのですか?」「そうだよ。まあ、表向きはソレ? ってことになってるけど。ここに即席の仲良しごっこ同盟をおびき寄せるの。今回はそれがメインディッシュになるんだよね」「軍事行動そのものが目的、だとおっしゃるのですか?」「その把握で合ってるよ。まあ、卿は見物してればいいからさ。滅多に観れないショーが拝めると思うよ?」「……ショー、ですか?」「そう。遊びみたいなもんだよ。ボクにとって、きっと陛下にとっても、ね」 軽い口調でポンポンと答えるアリアの言葉は、クラリティにとってどこか異界に棲む妖怪の言葉のように聞こえた。 真相を隠そうとしているのではなく、隠さずに語る真相そのものが、自分の理解できる範疇を越えているんだろうとクラリティは感じた。「アリア卿と、皇帝陛下にとっての、遊び……には、この侵攻自体が含まれる、という意味ですか?」「陛下が遊びって言うのを直接、聞いたことはないけど。ちょっと考えれば分かるよ。本気で攻め込んじゃえばスグに飲み込めたロムニアとかピャストを残しておくために敢えて膠着させてた西方戦線とか、落とすならもう絶好のタイミングだった二年前のミズガルズ、とかさ? どう考えても面白くなるタイミングまで待ってるでしょ。陛下って」 理解できる範疇を越えていると感じた自分の直感は当たってしまったんだと、クラリティは諦観にも似た落ち着きを取り戻した。「アリア卿にとっても、戦争は「遊び」なのですか?」「戦争そのものは、遊び
ヒンドゥスターン王国内では精鋭とされる魔錬士として、十二名から成る筆頭魔道士団の席次に就いていたフリードとビートを、圧倒的な力量差であっさりと処理したアリアは顔色ひとつ変えることなく、ベルゼブブを召喚したままでツカツカと街の中心部に向かって歩き続けた。 アリアの軽快な足取りに合わせて、リラックスした表情を浮かべるヴァイオレットとシルビア、鋭い視線で周囲を警戒する第十四席のギャランが後に続いた。 ベンガラに暮らす住民たちは既に建物の中に引き籠もっており、無人となった街には警鐘だけが鳴り響いていた。 アリアは街の中心に位置する、大きな噴水のある広場で足を止めた。「さて、と。ここで待とっか。人の姿は見えないけど警鐘は鳴ってることだし、あっちから来てくれるでしょ。暑くてもう、歩く気しないしさ」 アリアが軽い口調のまま待機を指示した数分後。 噴水のある広場からほど近いベンガラの役場に詰めていた、メーソンリー魔道士団の軍服を着た壮年の魔道士が二人と、アパラージタ魔道士団の軍服を着た若い女性魔道士が広場に駆けつけた。 緊迫した様子で近付いてくる三人の姿を見たアリアは待ちくたびれた口調で「やっと来た」と呟きながら、呑気なあくびを漏らしてみせた。 背恰好の似た壮年である二人の魔道士は、アリアが召喚しているベルゼブブを目視すると顔を見合わせ、うなずき合うと同時に揃って召喚獣の名を喚んだ。「「タロース!」」 二人の重なった詠唱に応じて出現した、二つの直径二メートルほどで緑色に発光する魔法陣から、全身が青銅色の装甲で覆われた身長三メートルほどの人型をした二体のタロースが姿を現わす。 二体のタロースを見たアリアは、退屈であることを隠さず口にした。「ベルゼブブに対して耐刃性能に優れるタロースを選んだ、ってことなんだろうけど……まあ、土の属性魔法を使う魔道士として間違ってないだけで、平凡すぎるよね」 壮年の魔道士の一人が、泰然とした様子のアリアに奇妙な違和感を覚えながらも声を張り上げた。「ラブリュス魔道士団が、ベンガラの地に何用だ!」 切迫が声に現れている壮年の魔道士とは対照的に、アリアがくつろいだ口調のまま答える。「えーと、アルナージ卿かな? それともカマルグ卿? まあ、どっちでもいいんだけど。セナート帝国はね、今朝、ヒンドゥスターン王国に宣戦布告したんだよ
「宣戦布告も済ませた戦争で、この戦い方が国際法ギリギリなのは承知してるけど。面白くなさそうだったし、まあ、お互い最低限の口上は済ませてたし、ってことで。遅いんだもん。召喚前に「ちくしょう」とか言ってるようじゃ問題外だね」 アリアは吐き捨てるように呟くと、ベルゼブブを召喚したまま軽い足取りで歩き出した。 ラブリュス魔道士団に籍を置く三名が無言でアリアの後に続く。 けたたましい警鐘が鳴り響く中、アリアがベンガラの中心区画に足を踏み入れたタイミングで「クッレレ・ウェンティー!」と風の属性で基本となる魔法を詠唱する少年の声が、アリアたちの耳に届いた。 自身の速度を強化するクッレレ・ウェンティーによって高速で駆ける少年が、アリアに向かって一直線に接近する。 アパラージタ魔道士団の軍服を身に纏う少年の、左肩でたなびくマントに標されたナンバーはⅫだった。「シーカ・ウェンティー!」 少年は駆ける足を止めること無く詠唱を済ませ、風の力で成形された短剣を右手に現出させる。「ラーミナ・ウェンティー!」 少年は立て続けに風の属性魔法を詠唱するのに合わせて、アリアを指すように左手を突き出した。 風の力を刃状に成形して射出するラーミナ・ウェンティーを行使した少年の、左手から撃ち出された風の刃が回転しながら高速でアリアに迫る。 アリアは何ら反応することなく、歩く足を止めることさえしなかった。 平然と歩き続けるアリアに代わって動いたのはベルゼブブだった。 互いに近付いているアリアと少年との間に瞬間的に割って入ったベルゼブブは、脚の先に発生させた風の刃で少年が放った風の刃を難無く叩き落とした。「チッ……!」 舌打ちした少年は、右手に握っているシーカ・ウェンティーによって現出させた風の短剣を投擲した。 ベルゼブブが短剣を叩き落とす隙に、少年がアリアとベルゼブブから距離を取る。「うん。まあ、なかなかと言っていい動きかな? キミ、名前は?」 アリアが戦闘の緊張を欠片も含まない口調で、少年の魔道士に声をかけた。 少年はベルゼブブから目を離さずに答えた。「ビート……アパラージタ魔道士団、第十二席次のビート・ハセックだ!」「ふーん。ボクはアリアだよ。で、ビート卿。称号はお持ち?」「……魔錬士、だ」 ビートがベルゼブブを警戒しながらも素直に答える。「そっかあ……そ